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引退ブログ2020 ⑥

ごきげんよう、北島です。

ヨット部最後の引退ブログをつらつらと、、歯切れ悪く。


引退して、ふと思い出すのはインカレのことばかり。学生しか参加できないその特殊性から、輝きに輝いた舞台です。「もう、一生、インカレ出れないんだ」



1, 2年生の頃は好き放題にヨットを楽しみ、3, 4年生ではスナイプバイスとしていい思いをしてきた北島ですが、思い出されるのは決していい思い出ばかりではありま..

全日本個人戦が終わった後、本吉コーチはおっしゃいました。「ヨットをしていて、悔しい思い出と嬉しい思い出が半々なら上出来だ。俺でも悔しい思い出の方が多い」と。言わずもがな本吉コーチは、学生時代から俺らなんか足元にも及ばない雲の上の人。


ヨット部生活を振り返っても、こころにずしりと残るのは悔しい思い出です。

2年秋、納得のいかない決め方をされたレーメン。さらにその当時バイスであり犬猿の仲であったが目標でもあった人が、突然部活を辞めた時にはシャワーを浴びながら泣きました。その後、亜美さん率いる新体制になり、すごく心地よく、楽しい部活になりました。3年春にペアを組んでいた津田さんからはペアでヨットに乗る楽しさを、3年秋は井戸と乗り、3年コンビながらもインカレで通用していて。


ティラーが曲がったり、ランチャーが折れたり、しまいにはボッキーニというあだ名までつけられたりしましたが、全部インカレ中の出来事です。インカレの女神に、僕は嫌われていました。


4年時は主に、人数の多い2年生とヨットに乗る時間が。物覚えの早い人たちで、目に見えて教えれることはどんどんなくなっていきましたが、まだまだです。悔いのないように、手を抜くことなく、詰めて。

4年インカレは後輩のちんむー。と乗りました。練習の時からきっぱりと物を言う人で、頑張り屋で、魅力的でした。インカレでは「じまさん、もうレグ引けませんよ」とか言っちゃうのに、OBのオンライン祝勝会では緊張しちゃうその姿。バイスになってもそのチャーミングさを忘れずに。

全個に出られなかったのは、人生で最も悔しい思い出かもしれません。全個終わったあとに悔し涙を流していたアキをみて、こっそり泣きました。全日本スナイプに俺だけ出て、俺だけ悔し涙を流したかった笑    井戸、ごめん。


いろいろあったけれど、東工大に入りヨット部に入って、ヨットをしれたこと、みんなに出会えたこと、人生の宝物です。


今後もみんなと一緒にヨット続けていきたいです。手始めに井戸と共同オーナーで、テーザー級の中古艇を購入しました。3月にはクルーザーレースに470SNIPE垣根なく出場します。

楽しい楽しいインカレはもうでれないけれど、まだまだヨット。世界大会とか出てみたいな〜



最後に、一生の宝物になった、オンライン記事のスクリーンショットを載っけて終わりにします。それではまた、


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