引退ブログ⑨山田莉菜
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- 3 日前
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お世話になっております。470スキッパーを務めていました、4年の山田莉菜です。
まずはじめに、ヨット部を支えてくださった保護者、OB・OGの方々、チームを指導し導いてくださった本吉コーチ、澤田さん、先輩方。共に切磋琢磨した同期、チームを支えついて来てくれた後輩たち。関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
引退してから2ヶ月が経ちました。振り返ると、本当に長くて、けれどあっという間の4年間でした。語り尽くせないほどの思い出がありますが、ここではいくつかのテーマに絞って、私のヨット部生活を振り返りたいと思います。
◯正直な気持ち
まず最初に、今の正直な気持ちを書きます。
「とても清々しく、やり切った」
本当にこの一言に尽きます。もちろん、ブログには書けないような辛いこともたくさんありました。もし「もう一度1年生からやり直す?」と聞かれたら、「No」と答えてしまうと思います。それくらい心身ともに削られる、そんな壮絶な生活でしたが、もちろん楽しいことはたくさんあり、大事な仲間ができ一生の宝物を得ました。そして何より、ヨットに対して全力を尽くしたからこそ、今は清々しい達成感を感じることができているのかもしれません。
◯原点・モットー
私の4年間のモットーは、ありきたりですが、「悔いのないヨット部生活にする」ことでした。というのも、私は中高でテニス部に所属していたのですが、本気でテニスや試合に向き合うことができず、努力も足りず、納得のいく結果を出せなかった経験があるからです。引退した時に、頑張り切れたと自負できなかったことが悔しく、やり切れない気持ちになったことは今でも覚えています。
まさか大学生になって、体育会に入ってバリバリ大学生活を部活に捧げるなんて、入学当時は全く想像していませんでしたが、試乗会で初めてヨットに乗り、海も綺麗で楽しく、ヨットが大好きになりました。そしてせっかくヨット部に入ったんだから、あんな思いはしたくない、後悔したくないという気持ちが芽生え、ヨット部をやり切る覚悟を決めました。
誰よりも練習量をこなしたい、負けたくない一心で努力しました。特に下級生の時は、先輩の動きやプロの選手の動画をじっくり観察し、コーチングのレスキューはできる限り欠かさず乗りました。犠牲にしたものも多かったですが、学校生活の全てを懸けることができたと思います。
◯男女平等
「ヨットは男女平等に戦えるスポーツなんだよ。」と新歓の時に言われました。実際にインカレでは、男女関係なく実力のある選手がレースメンバーとして対等に戦います。無垢な新入生の私はそれを真っ直ぐに受け止め、「男子と平等に戦えるんだ!楽しそう!」と意気込みました。
が、現実は甘くなかったです。そもそも「最低限のヨットに必要なフィジカルがあること」が前提の話だと痛感しました。「女子だから」「筋肉ないから」「軽いから」そんな言葉をたくさん聞きました。そんなふうに見られるのも扱われるのも悔しい、何よりも自分もそれを受け入れて言い訳にしてしまうことが嫌でした。
でも、「男子とのフィジカルの差を埋めるんだ」そう決意して、大学のトレーニング室にたくさん通いました。ムキムキな男子が集まるトレ室で、女子の私はかなりアウェーで恥ずかしさもありましたが、だんだん扱えるダンベル5kg,8kg,10kg…と増えていくにつれて、自信がついていき、いつの間にか周りの男の子たちと勝手に張り合って、「私の方が重いの持ち上げてる!」と戦っていました。最初はアウェーだったけど、張り合えるようになったことが頑張るモチベーションにもなりました。
初めは、メントリでバングが引けなくて半べそでフルトラのクルーの先輩にバングを引いてもらっていたのに、秋インカレ決勝の3日目の台風レースで、男子相手に10番台を走れるまでになりました。
そして、私がここまでやり抜けたのは、なんと言っても同期女子のおかげでした。私たちの代の新歓は、新入生女子が豊作で、470チームには女子が4人(4年同期8人中)という、同期女子に恵まれた環境でした。たくさん支えてもらいました。感謝しかないです。大好き!!!!4年生の春インカレで3艇6人中4人が女子で出た試合があり、その日の曳航での光景が忘れられません。「男女対等に戦えたんだな」と実感できた瞬間でした。


◯怪我
4年間振り返ると、怪我に振り回されていたなと思います。チームにも、支えてくれている周りの方々にたくさん迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。
470という狭い艇内でたくさんこけた新入生の時は、DVと疑われそうに足があざだらけでした。ラダーとラダーヘッドの隙間に指を挟んで内出血で爪がほぼ剥がれたり、北風コース練習でワイジャイして強烈なブームアタックを頭で受けて病院に行ったり。尾骶骨にヒビが入った状態で無理やりフリートレースに出て、関係のない腰を痛めて動けなくなりコーチに車椅子で病院まで運んでもらったこともありました。
極め付けは、インカレを控えた大事な4年の夏休みになった椎間板ヘルニアです。思えば、車椅子で病院に運ばれた時から腰の不調の予兆はあったと思います。ただの腰痛だと誤魔化し誤魔化し無理に練習をしてしまっていて、夏休み始まってインカレに向けたラストスパートの練習をこれから頑張ろうという時に、あまりの痛みで動けなくなってしまいました。
医師から「全治3ヶ月(運動禁止、安静に)」と通告された日は、4年間で一番辛く、大泣きしました。全治3ヶ月ということは、1ヶ月後に控えた女子レース、1ヶ月半後に迫ったインカレという引退試合に出られないということだったからです。このレースたちのために4年間必死に頑張ってきたのに。やっと成績を出せるようになってきたのに。チームにも大きな迷惑をかけてしまう。といった絶望感でいっぱいでした。
数日は痛みで全く動けず寝たきりな上、絶望のどん底にいましたが、ここで終わるのは嫌でした。痛みは消えなかったですが、徐々に動ける範囲が広がり、勝手に復帰できる希望を感じ、どうにかして復帰しようと、ヘルニアに関する知識や治療を調べまくりました。いつ再発するかわからない恐怖と、治っているわけではなく本当は安静にしていないといけない不安でいっぱいでしたが、ヘルニア経験のあるコーチにもたくさん支えていただき、(お医者さんには絶対安静にしていた方が良いと止められていましたが)、治療と自己流リハビリと気合い(真似しないでください)で、発症から3週間で海に復帰することができました。
1週間後に迎えた関東秋女子レースでは、第1レースで強豪チームと競り合い、一番にフィニッシュして鳴らせたトップホーンは、一生忘れられません。こんなに状態が不安定な私をレースに出させてくれたチームにも、一位に導いてくれたまなちゃんにも感謝しつくせません。ありがとう。
結果は、強豪の日本大学と同点ポイントで準優勝し念願のトロフェィーを手にすることができました。ボロボロな状態でしたが、「ヘルニアから復帰することを諦めなくてよかった。復帰できると信じて頑張ってよかった。」と思えた最高な瞬間でした。

◯インカレとペア
最後の1年のほとんどのレースは、4745で同期の小野と乗っていました。下級生の頃から憧れていた4745に乗ることができ、安定したクルーがペアで私は贅沢でした。ペア結成当初は、まだ何も成績のない状態で、失うものもなく、ただ高みを目指すだけのプレッシャーゼロの挑戦者でした。何にもとらわれずに、ただ前を走らせること、レースに出られることが楽しく、春インカレ予選では個人1位を取ることができました。でも、そんなに順風満帆にはいきませんでした。調子がいい時を知ってしまったからこそ、「もっとできるはずだ」と理想を求めすぎて、たくさんぶつかりました。一番喧嘩をしたし嫌いになりそうにもなりました。
それでも、セーリング練習で前に出られた時、マークラウンディングで差をつけられた時、爆風レースで沈をせず走り切った時、個選出場に惜しいところまで行けた時、秋インカレ台風レースで前を走れた時など、楽しく、ペアで良かったと思う瞬間はたくさんありました。ありがとう。
唯一の心残りは、女子たちは輝ける場所があったけど、同期男子たちに「形の残る成績」を残してあげられなかったことです。「史上初470級全日本出場」という称号を一緒に掴み取りたかったです。でも、一緒に挑めてとても楽しかったです。たくさん振り回してしまったけど最後まで付き合ってくれてありがとうございました。

◯後輩たちへ
初っ端から、もう一度ヨット部をやり直したいとは思わないとか言ってしまいましたが、それは、ヨット部として4年間過ごし切ったからです。
ただ、後悔が一つもないわけではありません。「現状維持は衰退」とよく言いますが、私はこの言葉通り、最後の夏休みに、もっと細かいところまで突き詰めたかったです。走りや動作の再現性を高めたかったです。残念ながら、私の夏休みは、前半は怪我で棒に振ってしまい、復帰してからも元の調子を取り戻すのが精一杯でした。しかし、怪我で時間がなくなってしまったことは、ただの言い訳にしかなりません。もっと早い段階でそのレベルに到達し、余裕を作っておくべきでした。最後まで何が起こるかわかりません。そしてインカレの直前まで伸び続けます。なので、今練習できる時を大切に、一生懸命取り組んでほしいです。
また、「ヨット部をやり切った」という事実は、これからの人生で最強の自信になります。 どんなに理不尽なことがあっても、怪我をしても、諦めなければ景色は変わります。 自分なりの「正解」を見つけて、悔いのない時間を過ごしてください。

そして、ヨットを通していろいろな方々に出会うことができました。特に、一緒に練習してくださった他大の皆さん、とても楽しかったし刺激になりました。ありがとうございました。またどこかでお会いできたら仲良くしてください。
最後に。
色々書きましたが、結局はヨット部と葉山が大好きです。朝4時半に起きて、ヘロヘロになりながら歩いていた葉山から合宿所への道のりの途中、あのロブスターまでの川沿いの道が大好きでした。どんなにヨットに行きたくなくても、辛くても眠くても、住宅街の中から急に海が見えて、天気がいい日には富士山も見えるあの道を通ることで、今日も1日頑張ろうと思えました。葉山の絶景が大好きです。
4年間、本当にありがとうございました!
科学大ヨット部470級ヘルムス 4年山田莉菜





























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