引退ブログ⑦関根拓豊
- ホームページ 東工大ヨット部

- 1 日前
- 読了時間: 7分
前年度スナイプバイスを務めさせていただいておりました、31746クルーの関根拓豊です。
愛する後輩たちに向けて、僕の学びを3つ授けたいと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「僕たちは支え合って生きているということ」
「楽しむとは、全力でやるということ」
「全ては運であるということ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最初に伝えたい学びは、
「僕たちは支え合って生きている」ということです。
でもこれは、単なる優しい言葉ではなく、競技者として、そして一人の人間としての"態度"の話です。
僕らが日々受け取っているものは、決してタダではありません。
設備も、コーチングも、先輩の背中も、後輩のサポートも、
そのすべてに誰かの時間と犠牲と想いがある。
だからこそ、
「自分だけラクして得しよう」という姿勢は絶対にダメです。
楽してお金をもらおうとしたり、
タダで受け取り続けようとしたり、
その瞬間から人は弱くなるし、チームも弱くなる。
この"受け取る覚悟"について、僕自身、痛みを伴って気づかされた経験があります。
去年の秋の終わり頃、代替わりを迎えるにあたって来年度の活動費をどう捻出するかという議論がありました。
そこで出てきた案の一つが、保護者の方々に寄付金をお願いする、というものでした。
切実な問題だったので、僕たちはすぐに動きました。
寄付金班でチラシのレイアウトを作り、文章を考え、写真を選び、
「これでいけるはずだ」と全員が思っていた。
けれど、その案を理事の橘高さんと加藤さんに見てもらった瞬間、返ってきたのは予想外の「却下」でした。
なぜダメなのか。
なぜ今すぐ必要なお金を、お願いしてはいけないのか。正直、最初は理解できませんでした。
寄付金班でも戸惑いと焦りが混じり、空気が重くなったのを覚えています。
そこから、何度も話し合いました。
「お願いする前に"価値"を返すべきなんじゃないか」
そんな意見が出てきて、苦肉の策として浮かんだのが、ファミリーデイというイベントでした。
正直に言えば、準備は面倒でした。
ただ寄付を募るだけとは違い、場所の調整、スケジュール、動線、説明内容…
考えることは増える一方でした。
それでも当日、保護者の方々が
笑顔で合宿所を見学し、海を眺め、部員に声をかけてくれている姿を見た瞬間、はっきりと理解しました。
「これが、本来あるべき形なんだ」と。
合宿所も、海の風も、部員たちの練習の様子も、
普段は僕たちだけが知っている"日常"を見てもらうことで、初めて伝わる価値があった。
帰り際に「応援しているよ」と言ってくださった言葉の重さが、以前とはまったく違って聞こえた。
そのとき、自分が"タダ同然で寄付をもらおうとしていた"ことが、本当に恥ずかしく思えました。
支えられているということは、勝手に与えてもらえることではない。こちらが誠実に、丁寧に、価値を返そうとするとき、初めて
"受け取るに値する人間になる"。
そしてその逆もまた真実です。
与えるからこそ、受け取れる。
誰かを助けようとする人にこそ、
信頼が集まり、情報が集まり、チャンスが集まる。
役に立とうとする姿勢を持つ人にこそ、本当の意味で"受け取る力"が育つ。
後輩の練習を手伝うことも、
片付けを率先してやることも、
自分の経験を誰かに渡すことも、
一見「損しているように見える行動」が、
巡り巡って自分の成長になり、自分の背中を押してくれる。
つまり、支えられていると知ること。
そして、自分から支える側に踏み出すこと。
この両方が揃って、ようやく僕らは
"受け取る価値のある人間"になれるんだと思います。
後輩のみんなには、
「もらっている」という自覚と、
「返していく」という覚悟、
そして「与えるからこそ受け取れる」という循環の力を全身で感じながら進んでほしいです。
それが、誰よりも強くなれる生き方だと思います。

次に伝えたいのは、
「楽しむとは、全力でやるということ」です。
よく「楽しんでこいよ」という声を掛けたりすると思います。
レース前、代替わり、大事な節目のたびに、みんなが同じことを言う。
でも、あれは"気楽にやれ"という意味ではないと考えます。"手を抜いてもいい"という優しい言葉でもないですよね。
むしろ逆で、
「全力でやれ。最後までやり切れ。」
その覚悟を込めた言葉だと今なら分かります。
本気でやると、苦しい瞬間も増えます。
思うように行かない練習もあるし、
心が折れそうになる日だってある。
でも、そこまでやった人間だけがたどり着ける感覚がある。
それが、僕の思う"楽しさ"です。
「楽しい」という言葉の一般的なイメージ。遊びや娯楽、気分が軽くなる優しい感じでしょうか。
そういう意味の楽しさとはまったく違う。
ここでの"楽しさ"は、
全身でぶつかり、限界に触れ、
自分のすべてをこの競技に注ぎ込んだ先にある静かな幸福感のことです。
また、全力でやる人の姿は、周りにも火をつけます。
本気の空気は伝染する。
一人の全力が、チーム全体を押し上げる。
後輩のみんなには、
どうか"気楽な楽しさ"ではなく、
"全力でやった人にしか見えない楽しさ"
を大切にしてほしい。
結果の良し悪しよりも、
最後に胸を張って「楽しかった」と言えるかどうかは、どれだけ自分を出し切ったかで決まります。
全力でやることは、時にしんどい。
でも、本気で走ったあとに残る景色は、
何よりも美しくて、何よりも忘れられない。
それが、僕が部活を通して知った"楽しむこと"の意味です。

最後に伝えたいのは、
「全ては運である」ということです。
この言葉だけを聞くと、努力を否定しているように聞こえるかもしれません。
でも僕が言いたいのはまったく逆です。
世の中には、自分の力ではどうにもならないことがたくさんあります。
レースの風向きも、他艇の動きも、予期せぬトラブルも、どれだけ準備しても読み切れない日がある。
でも、その"どうにもならない部分"を受け入れた人間だけが、本当の意味で努力の価値を知ると僕は思っています。
ヨットは特に、運の影響が大きい競技です。
風は完璧に予測出来るわけではないし、
完璧なスタートを切っても報われない日が普通にある。
逆に、少しの判断が当たって、想像もしていなかった展開が開ける日もある。
だからこそ、僕らがやるべきことはただひとつ。
運が向くその瞬間まで、"耐えて準備し続ける"こと。
運が悪いと感じる時ほど、心が折れやすい。
「なんで自分だけ…」と思いたくなることだってあった。
でも、腐らずに積み上げた力は、いつか必ず"運を掴む準備"として形になると思います。
大事なのは、
チャンスが巡ってきた瞬間に動けるかどうか。
その準備がある人だけが、運を味方にできる。
"早稲田大学は風の神様に愛されている"
わけでは無いですよね。そういうことです。
そしてもうひとつ、僕が強く思うことがあります。
"自分は運がいい"と信じて生きること。
根拠なんていらない。
でも、この思い込みがあるだけで、行動が積極的になり、決断が早くなり、チャンスを自然と掴みにいく人間になる。
運を信じない人は、せっかくの風を受けても動けないです。でも「自分にはツキがある」と思える人は、たった一度のチャンスを迷わず取りにいけるはずです。
結局、運は不公平だけれど、
「運を掴める状態」を作るのは自分自身です。
風がすべてを決めるように見えるヨットでも、
その風を"追えるかどうか"は自分次第。
人生観とヨット競技の話がごっちゃになってしまったけど、後輩のみんなには、
運に振り回されず、
運に甘えず、
運を信じ、
運を掴みに行く人になってほしい。
そしていつか、
「自分は運が良かった」と笑って言えるような
そんな競技人生を歩んでくれたら嬉しいです。

最後に
この4年間、とりわけ最後の1年間関わって支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。簡単な言葉となってしまい大変申し訳なく思います。この場で表現し切れるものでは無いので、この気持ちはこれからの人生の道のりでじんわり示していければと考えています。
重ねて感謝申し上げます。
ありがとうございました!
人生最高に楽しかった‼︎




























コメント