引退ブログ⑤髙橋祐樹
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- 2 日前
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お世話になっております。
全日本で引退しても、早生まれが故にジュニアミックスに駆り出された前主将兼、31138クルーの髙橋祐樹です。
去年の今頃、全く提出期限を守らない先輩たちの引退ブログを読みながら自分の最後の一年がどうなることやらと想像していたことを思い出すと、自分が同じ立場になっていることに感慨深さを感じます。
普段のブログと違って、レースの報告をするわけでも、何かに向けての意気込みを書くわけでもない、”完全に個人的”なブログを書いているので、このブログを読んでいただいているだけで非常に嬉しいです。それとともに、好きなだけ好きなことを書くことが許されている(?)場所なので、つらつらと文章を書くのが自分にとっては少し楽しみでもあります。そんな僕がヨット部として残す最後の文章を温かく見守っていただければ幸いです。
このように過去を振り返るような場所では、「ここまでの時間が一瞬で過ぎた」というように述べられることが多いですが、今年の私に限ってはこの1年はなかなかに長いように感じます。主将としての1年間は今までのどの3年間よりも濃密で悩まされることが多い1年間でした。
2年生の夏ごろに4年次の役職を決めることになり、大学の1つの教室に同期全員で集まりましたが、挙手制で初めに決めることになった主将には誰の手も挙がりませんでした。小さいときから、誰も挙手者がいないという雰囲気になるといつも特に考えず手を挙げてしまうような僕でしたが、今回も同じような雰囲気になることを予想していたので、今だから言えますがこの時も今までと同じように"主将が特別なこと"とは考えずに立候補をしました。しかし、ヨット部という場所で長い時間を過ごし、自分が上級生になっていくにつれて、いかに主将という役職が今まで自分が経験してきた役職よりも過酷で、部にとって重要な役職であるかということを知っていくようになり、それと同時に自分にこの役職が本当に務まるのかと不安が大きくなっていく一方でした。
実際に主将としての1年間が始まると、「あの先輩ならこうできていた」とか「あの人ならこうやって言えているのに」などと先輩たちや同期たちの凄さを実感するとともに、自分の立ち振る舞いの理想との乖離に苦悩するばかりでした。主将としての仕事や、部としてのまとまり・秩序を意識して陸での苦悩が増えれば増えるほど、一切の煩悩を捨てて遠藤と138をただ前に進めることだけに集中することが許されるヨットをしている時間が非常に楽しく思えるとともに、ヨットのことを考える時間が増えるということが”主将から逃げている”ような気がしてしまい、ヨットと向き合うことに罪悪感を感じてしまう時期もありました。そんな時期でも優秀な同期や後輩たちがいっぱいの手助けをしてくれて、主将としての立ち回りを乗り越えながら(?)、楽しくヨットに向き合うことができました。ここまで優秀な人たちが多い代でなかったら、今年のヨット部がとんでもないことになっていたと主将の僕が胸を張って言えます。まぁ、人のせいで仕事が増えることもありましたが、助けてもらう分助けるし、助けた分助けてもらうようになっていきました。
主将という役職は、部活のトップでありながら、何かしらチームの成績に対してやりがいを持てるというチームリーダーのような役職ではありません。嬉しさを感じるポイントといえば、「合宿所の電気のつけっぱなしが減った」とか、「給湯器のつけっぱなしが減った」とか、「全体ミーティングの時間が守られた」とかいうほんとにちっぽけなことです。そして、やるべき小さな仕事をしていないと部活全体に影響が出てしまうが、その仕事をやっても褒められはしない。なかなか難しい役職です。しかし、1年間が終わった後の達成感と「君が主将でよかった」と言ってもらえた時の嬉しさはこの1年間の苦労に見合う嬉しさがありました。
主将になる後輩たちをビビらせるつもりは全くないよ。最後はえぐい達成感あるよ。って強調しておく。
主将としてはっきりと悔やまれることがあるとすれば、470と一緒に江ノ島に行けなかったことです。僕の3個上で主将をされていたスナイプクルーの西岡さんの引退ブログに、「470も一緒に全日本に行きたかったが、主将として力が足りなかったし、470を気にかけることができなかった」という内容がありました。憧れの西岡さんのブログを読んでいた当時1年生の僕は、「主将になったら470と一心同体になり、初めて両クラスで全日本に行けるようにしよう」という志を持ちました。しかし、その目標を達成することはできませんでした。もちろん、470のコーチボートに乗ったり、一緒にレースに出られたりするわけではないので、常に470を支えることはできないが、陸では470と常に意識を共有して、一緒に1年間戦い抜くことを目標にしてきました。そして、秋イン決勝の最終日にスナイプが着艇して、470メンバーと抱き合うことを夢に見て。だが、その目標を自分の代で叶えることができなかった。もっと470チーム全体のために、個人のために大きな成長を助けることができなかった。もちろん、470メンバーがずっと頑張っていたのはそばで見ていたし、応援もずっとしていたが、どこかで自分が”科学大の主将”ではなく、ただの”スナイプチームの人”に成り下がっていたのだと感じます。仕事をこなして部活を機能させることだけが主将の仕事ではなく、チームを前に進めることが主将として正しい在り方だと感じていたはずなのに、自分の力が足りなかった。その悔しさと自分自身を非難する思いが、秋イン最終日に470同期の涙を見て改めて思わされました。

ここまでだと危うく「こいつはここまでいいことなかったんだな」と思われそうなので、ここから挽回していきます。
僕はありがたいことに、下級生の時からたくさんヨットに乗せてもらい、たくさんのレースに出させていただきました。1年生の12月までは470クルーとして平日水曜練習も、夏合宿もたくさん行って、たくさん乗せてもらいました。そして、1年生の1月から人数の都合によりスナイプクルーに転向をするや否や、「君はインカレに出る可能性があります」と言われて膨大な乗艇時間をもらい、3月の学連練習レースでは池田さんの尽力により1上2位をとり、シングルフィニッシュをしました。そこから重量クルーとして本格的にインカレメンバーとしての練習が始まり、春インカレにも出させていただき、秋インカレにも一部だけ出させていただきました。この1年間は池田さんの理想の動きに追いつくことが全くできず、自分の無力を感じるやりきれない1年となってしました。今でも秋イン前にやった無限にトライアングルでランチャーアップ練習をした時間を鮮明に覚えています。しかし、この1年間があったからこそ、”インカレの雰囲気への慣れ”という重要な力を身につけることができたので、4年になってからもインカレに焦らず、落ち着いたレース展開をすることができました。
3年生になっても、ありがたいことにインカレメンバーとして1年間レースに出し続けてもらいました。この1年は少しずつ自分自身の成長を感じながら、先輩に教えてもらいつつ、先輩たちと全日本に行くことができました。しかし、全日本では思うような走りができず全日本へのリベンジを抱えながら全日本を終えました。
ここまで、2年生からずっとインカレメンバーとしてレースに出させてもらっていましたが、それに伴って常に同期のせきたくへの申し訳なさのようなものを感じていました。スナイプに乗っている歴も自分より長いし、クルーワークもあんなに上手なのに、少し体重が重いだけで自分がレースに出ててもいいだろうか、と。この思いをせきたくに伝えたこともありましたが、「自分はゆうきが出るべきだと思ってるよ」と、言葉だけだったとしてもその一言を言ってくれたことが、自分にとって非常にホッとする瞬間でした。この言葉を受けて、「4年生では今までの経験を活かして絶対にみんなを引っ張れるようなリザルトを残す」という誓いを自分に立てて、3年での1年間を取り組み、そして自分の代を迎えたことをはっきりと覚えています。(せきたくは忘れてそう)
とは言ったものの、いざ4年生が始まると引っ張るなどはおこがましいほどにみんなの実力がどんどんと成長していき、春インでは今までにみたことがなかった”決勝6位入賞”という出来の良いリザルト。その流れに乗って秋インではさらに1つ順位を挙げて”決勝5位入賞”。この結果は、今まで憧れだった先輩たちのリザルトを明確な数字として超すことができたと思うと、思わず同期と音が鳴るくらい勢いよく抱き合うほどの嬉しさがありました。
新チームになってから、クラスとしての長期目標として、「全日本常連校」を掲げました。5年前の先輩たちが数十年ぶりに全日本インカレに出場してから、「3年生の時からインカレに出ている人数がある程度いないと、全日本に行けない」というような雰囲気が漂っているかつ、去年の先輩たちがその条件を満たし、無事に全日本に出場した、その後が僕らの代でした。実際、最近になって他大学の人と話をさせてもらう時には、「去年からガラッと入れ替わったから、弱くとなると思ってた」や、「全員未経験でほとんどが初めてのインカレだったから勝てると思ってた」と言われることが非常に多かったです。その中で、僕らの代が全日本に出場することが、「全日本常連校」という目標を満たす大きな第一歩であると全員が自覚していました。その中で、全日本出場を果たし、全日本入賞を目標として掲げることができるようになり、今後への大きな進歩を生み出せたことにも喜びを感じています。

約3年半をヨット部という場所に注いできたのですが、この4年間でヨットレースを一番楽しく感じられたのは間違いなく最高学年になってからの1年間です。これは別に3年までが楽しくなかったというわけではなく、4年でのヨットの時間にそれだけ全力を注ぎ、先輩の力に頼ることなく、自分たちの力で前を走る実感を強く感じることができていたからです。4年になってからは、「草レースでも、部内のコース練でも、少しのマーク回航練習でも、1本のセーリングでさえも絶対に部内では1番を取る」という目標を作り、そこにこだわってきました。実際に、誰かに負けるとめちゃめちゃ悔しかったし、全員に勝てた時には心でガッツリとガッツポーズをしていました。それだけ少しの練習にも競争意識を設定して、ヨットに神経を使うようにしてきました。だからこそ、先に述べたような”ヨットレースの楽しさ”を強く感じられるようになったのだと思います。そしてなんと一番重要なインカレでは、練習ではずーっとライバルとして意識してきた”強敵”であるはずの科学大の船が、2艇も自分の味方となって一緒に走ってくれるのです。この安心感と言ったら何にも変えることはできません。実際、インカレでは「自分が叩いても他の2艇が走ってくれている」という思いを持ち、強い心で走ることができました。そして3艇で5位入賞を果たせた時には、「この4年間は全てこの時の嬉しさを感じるために頑張ってきた」と思えるほどの達成感から、鳥貴族での決勝の打ち上げで、クルー陣の3人で互いを讃え合いました。後輩たちには、それほどまでの喜びと達成感が最後には味わえるということと、それほどまでの喜びと達成感を味わえるように全力で励んでほしいという思いが、全てを終えた今、感じていることです。
しかし、"全日本インカレ入賞"という目標は、秋イン決勝で5位に入り「このまま全日本入賞まで行ける」と思っていた僕らにとって、惜しいとも言えないリザルトに終わりました。小さなミスはあったにしろ、大きな英字を取ったわけでも、沈艇を出したわけでもないのに、入賞には全く届きませんでした。こっちでこうしていればなどというのも詰まるところ実力が出ているだけなので、入賞には及ばない実力だったということだと感じています。後輩たちには僕らに足りなかった何かを探すために、僕らの粗探しをたくさんしてもらい、ぜひとも全日本常連校、全日本インカレ入賞、そしてその先までずいずいと進んでいって欲しいです。

僕が入部した時のことを振り返るとヨット部に入部したのは、海が好きだったことに加えて、試乗会での先輩たちの押しに負けたからであり、全日本が~とかは一切モチベがありませんでした。ヨットへの思いも希薄で、「大学の部活だし、適当にヨットやってめんどくさかったら抜けよ」くらいでした。おそらく同期や先輩たちも半分くらいはそんな気持ちで入部したのではと思っています(おれだけ?)。しかしそんな腑抜けも、気づいたら主将をやり、長期休みは週6で朝から晩まで練習し、iPhoneに合宿所を自宅と勘違いされるほどに海に滞在し、全日本インカレや全日本スナイプに出てみているのです。これはひとえに"周りに流されたから"です。周りに着いていくような形でヨットをやり、気づいたら目標ができ、気づいたらヨットレースが止められなくなっていました。これを読んでくれている後輩の中にも、希薄な理由で入部して、思ったより周りが熱くてどうすれば良いだろうとキョロキョロしている人もいると思います。そのような困ってる人や、いろいろあって気分が落ちたときには、「そのくらいの気持ちで最後まで頑張れたやつもいる」、ということを頭に留めてもらえればと思います。モチベーションが下がったときこそ、同期や先輩たちが頑張っている姿を見て何か感じるものがあれば、ぜひ奮起して頑張って欲しいと思います。口下手だったので、後輩にモチベが上がるようなことや、的を得たアドバイスなどができた覚えはありませんが、いい意味で後輩たちを熱い方向に”流せる"ような雰囲気を最後に作れていたらいいなと思っています。
色々とありましたが、回想すると楽しい思い出ばかりです。
1上で少しずつ近くの船を抜いていき、ふと気づくと自分がトップ集団になっている時に138から見えるあの景色、瞬間。秋インで2回、全日本で1回シングルフィニッシュをするたびにニコニコで遠藤とハイタッチをしたあの高揚感。2人で息のあった動作ができた時のあの目の覚めるような加速感。小野のお尻を見て同期で笑い合ったあの時間。どれも昨日のことのようにはっきりと思い出せます。これほどまでの一生の思い出を作れたことを幸せに思います。
最後にはなりますが、OB会の方々、夏樹さん、保護者の方々、ヨット部を支えてくださっていた方々、先輩方、ヨット部のみんなに感謝を申し上げます。
138への感謝は、全日本最終日の夜にバウ先を愛でて感謝を伝えました。
そして、色々伝えたかったスナイプ同期と芳賀(他の後輩たちも)には、感動的で素晴らしく詩集にできるほどの愛の言葉を全日本終わりに伝えているので、ここでは書かないわよ(引退ブログがこのように超がつくほどの長文になることを私は見越していたのだよ。ふはは)。
冒頭で「好きなことを好きなだけ書ける」とか言ってしまったせいで、思っていたこと、伝えたいとこを好きなだけ書いてしまいました。引退ブログは長文が吉みたいな風潮があると信じているので(あれ)、たんまりと書いてしまいました。これでも全日本インカレの詳細な振り返りは我慢したんです。そして前回の壮大な夏休み回顧録に続き、今回もここまで読んでくれた人はもう僕の兄弟なのでしょう。
楽しい楽しい4年間のヨット生活でした。
ありがとうございました。
31138クルー
髙橋祐樹





























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