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引退ブログ 赤地俊章

お疲れさまです。2022年秋~2023年秋まで主将を務めていました赤地と申します。

引退ブログの投稿が遅れてしまい、大変申し訳ありません。


10月の引退後すぐに書いた部分もありますが、3月末の卒業時に書いた部分もあります。多少おかしい部分があるかと思いますが、ご容赦ください。

 

まず、お世話になった方々に簡単ではありますが、感謝いたします。

  • 同期 同期は少ないのに後輩は多いという大変な状況だったけど、なんとか最後まで行けました。色々迷惑かけましたが、最後まで残って一緒にやりきってくれてありがとう。

  • 後輩 いろいろと迷惑かけましたが、こんな自分たちについてきてやってくれてありがとう。

  • 若手OB 低学年時から引退後まで、相談に乗ってくださったり手伝ってくださったりとありがとうございました。

  • 本吉コーチ ヨットのご指導はもちろんのこと、ご相談に乗っていただいたりとありがとうございました。

  • 潮会の皆様 多大なる金銭的なご支援やご声援をいただき、本当にありがとうございました。多くのことでご迷惑をおかけしましたが、皆様のおかげで自分は成長することができたと感じています。多方面にわたりご指導いただき、ありがとうございました。

  • 橘高さん、加藤さん お忙しい中、部のことや主将のことなど、不躾にいろいろとご相談してしまいましたが、お二人のご協力に助けられました。ありがとうございました。

  • 家族 経済面でも精神面でも支援いただき、自分のやりたいように大学生活を過ごさせていただきありがとうございました。

 

これら以外にも、自分の大学生活で関わってくださったすべての方のおかげで、自分はいろいろなことを経験し、学ぶことができました。今の自分があるのは皆様のご支援、ご声援、ご協力あってです。本当にありがとうございました。

 


何を書くか迷いましたが、今回は、自分がヨット部の生活を踏まえて重要だと感じ、自分がこれからの人生で意識していきたいことを書き記しておきます。あくまで自分が感じたことですので、少しきつい表現等もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

それは違うやろ、無理やろ、と思うことも多々あると思いますが、シカトしてください。もし今後自分がこれを読み返すことがあれば、「分かってないなぁこいつ」と思うことになっているはず。

そして、ほんの少しでも読んでいる方の役に立てたり、考えるきっかけになれたりすれば何よりです。

 

年長者に頼れ

自分は年下よりも年上が得意で好きなこともあり、かなりいろいろな方に、いろいろな場面で頼らせていただいた。

自分よりも年齢が高い人って、自分よりも長く生きて経験しているので、いいこと言ってくれるし、だいたい自分よりも正しいことを言っている。

けど、よくわからんこと言ったり、自分はあまり好かない人はいると思う。そういう人には正直頼らないでもいいかもしれない。でも、言ってくれる人はほとんど自分のためを思ってくれている、だからリスペクトは大事。思ったよりも人に言うのはエネルギーを要する気がする。

年下と同期への関わりは方は下手すぎるから、年長者がどのように自分へ振る舞っているかを社会人生活の序盤で学んでいきたい。

 

うまく時間を使え

ひらめきが大事、無駄なことに時間をかけてもしょうがないっていうのは非常にわかる。が、この世の中の多くのことは、時間をかければかけるだけ良くなると自分は思う。ただ上がり幅は小さく、√xみたいな感じだとは思う。

質や能力はどうしようもない部分が大きいが、時間というのは自分でなんとかなる部分も多いっちゃ多い。本当に大事なこと、やりたいことだったら、何としてでも時間を作る。それができないっていうのは基本的には言い訳だし、やりたくないってこと。

大事な時間を生み出すためにも、死んだ時間ばっかり過ごしてちゃダメ。

ダラダラゆっくりする時間も大事かもしれないけど、無駄にはしないように。

 

限界は超えられる

特別に好きなわけではないが、「神は乗り越えられる壁しか与えない」っていう言葉が印象に残っている。

今の自分にとっては限界と思うかもしれないが、意外となんとかなる。ヨット部での生活、特にラスト1年間は、ずっと人生で一番つらい期間を更新し続けていた。それでも今振り返るとなんとかなってるし、卒論直前も(精神的負担は小さかったが)かなりつらかった。

今の限界に向き合うことで、限界のレベルはどんどん上がっていき、自分はどんどん成長してよくなっていく。

ちなみに内容とは関係ないが、自分が好きな言葉として上げることが多いのは、「不満ばかり言って足を引っ張る人より感謝を伝えて手を引っ張る人でありたい。」である。


上を見ろ

「鶏口となるも牛後となるなかれ」っていう言葉があるが、自分はそうは思わない。

これまでを振り返ると、「自分はすごい、できる」って思った瞬間に、自分はどんどん腐っていっているような気がしている。逆に成長してきたなーと思うのは、周りのすごい人たちに引っ張られているとき。

これからも、自分が「すごい」と感じる環境に身をおいたり、周り人たちのすごいと思う部分に目を向けたり。とにかく自分よりもすごいもの、人を見て、(非常に漠然とはしているが)今の人生の目標である「いい人、すごい人」になれるように生きていきたい。

 

人生の選択は全部正解に

ヨット部に入部したり、他の艇種に乗ったり、休部したり、でも部活をやめなかったり。ヨット部の生活に絞ってもたくさんの選択をしてきた。

自分はこの選択が正解だったのか。別の選択での世界を経験することはできないし、もしかしたらその選択のほうが良かったかもしれない。

それでも自分はこれまでの選択を全く後悔していないし、最高の人生を過ごしている。

これからも、どんなときでも自分の人生は最高と思えるように、楽しんで生きていきます。



最後にはなりますが、これまで自分を、チームを応援していただき、本当にありがとうございました。

今後とも東京工業大学体育会ヨット部へのご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。


主将 赤地俊章



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一度シメましたが、まだまだ書きたいことはあり、長くなりますので、以下は本当に時間がある方だけでお願いいたします。




ここからは自分のヨット部の3年間を振り返ろうと思います。

読んでくださっている人は暇つぶしのつもりでお願いしたいですが、さすがにただ自分の思い出話をするだけでは良くないので、自分がヨット部で得たものはちゃんとお伝えしようと思います。

ただ大半は思い出話です。ご注意ください。

 


2年7月~10月 Tasarキャンペーン

自分はこの時期Tasarに乗らせていただいた。このキャンペーンのきっかけは井戸さんの思いつき。

当時B3, B4の先輩からは、「絶対にしんどいから、流されるんじゃなくてちゃんと自分で決めろ」ってめっちゃ言われたのを覚えている。当時の自分は「面白そう」くらいの感じでこのお誘いを受けることを決めた。確かに今だったら、メンバーとか状況を考えると、こんなに軽く受けることはできない笑

ただ今でもこのキャンペーンに参加してよかった(もちろん楽ではなく、辛いこともたくさんあったが...)。そう思えたのは大きく3つの理由。

 

まず1つ目は、本吉コーチなどの一流の人と過ごせたこと。海でも陸でも、ちゃんとONとOFFのモードがある。陸でも整備や積み込みなどのときにちんたら動いていたら、もちろん激が飛んでくる。一方、海でもレストのときはちゃんとOFF。

また(正確ではないですが)この期間で非常に印象に残っている言葉がある。


『1秒早くなっても順位は変わらないことのほうが多い。 でもその1秒早くなることを妥協するやつは、何があっても1番にはなれない。』


「あぁ、すごいなぁ。」と感じたのを今でも覚えています。自分はそう思えるのか...?

 


次に2つ目はペアを組んでくださった河合亜美さんの教え。これまた3つ。

まず、自分の船を持つ、すなわち艇のオーナーになるということ。当たり前だけど、整備費、陸置き費など艇に関する費用はすべてオーナーが持つ。管理するのも全部自分。置き場を探すのも自分。

現役時代は潮会に支援していただいたため、感じることはできないかもしれないが、当時の自分は船を持つということに衝撃を受けるとともに、なにか重いものを感じた。


次にチームをマネジメントするということ(このときはペアだったが)。マネジメントとはチームの目標を達成させること。つまり自分がうまくなるだけでいいというわけではない。

大学もある。プライベートもある。艇のメンテナンスも必要不可欠。そしてペアをうまくしなければならない(当時自分はヨットを初めて1年弱)。この状況の中で自分もうまくならなければならない。チームに関することのすべてに気を配り、マネジメントすることが艇長(ヘルムスマンではない)のやることだと学んだ。


最後にストイックさ。Taser期間の練習では、“1艇”で海に出て、ワーク練としてひたすらに上下ぐるぐる(1時間とか?)、梵天と見通しでのスタート練(4分サイクル×10本×数セットとか?)という日が何回もあった。確かに周りに艇はいないから走り合わせもできないし、レスキュー艇もないからコーチしてくれる人もいなければリコールしていたかもわからない。練習環境でいうとよくはないだろう。練習時間としても、数えてみるとたった30回弱の練習日数、朝から晩まで海にいたわけでもない。

それでもヨットの技術面で、自分が最も成長できたのはこの期間だと思う。この技術というのは、セーリングの技術という意味で、Taserのクルーワークというわけではない(もちろん初心者で伸びやすかったというのはある。)

少し話はずれるが簡潔に、亜美さんほどストイックな人を、自分は今まで見たことはない。

 

最後にTasarキャンペーンで得た3つ目のことは、ヨット部以外でのヨットの経験である。ほとんどの部員は東工大ヨット部以外でのヨットを知らないと思う。部でないと得られない経験、楽しさもたくさんある。が、部活にはどうしても面倒なことや大変なことも伴う。しかし部でないヨットは、部の大変さというものはない。だからこそヨット部のヨットとは感じ方も変わってくる。どんな形が楽しいかは人によるだろう。だからこそヨット部を引退したあともすぐにヨットを辞めるのではなく、何かしらでヨットに関わってみてほしい。

自分にとってのTaser期間は、自分のヨット期間の中で、特にヨットが楽しかった2つの期間の内の1つだった(参加メンバー全員が、自分よりも明らかにヨットがうまいため、自分がうまくなることのみに注力すればよかったという理由もあるが)

 

ヨットの基本を学んだということだけでなく、多くのことを経験することができた期間だった。

この作戦を思いついてくださった井戸さん、セーリングパートナーとして一緒に練習してくださった本吉コーチ、松苗さん、北島さん、井戸さん、そして一緒にペアを組んでくださった亜美さん。本当にありがとうございました。

 

 


2年3月~3年10月

Tasarキャンペーンが終わり、スナイプに戻っていたところに、とりあえず3年の秋インまで470へクラス転向という話が上がった。あと1年で間に合わせられるのかなどの不安もありながら、①純粋に面白そう、②自分がインカレ出ないで、1個下の代がインカレ出るくらいなら転向して出たいな(自分勝手)、③本吉コーチの「470もスナイプもヨットはヨット、470やってスナイプが下手になることは絶対ない」という言葉、などの理由から470へ行くことを決めた。

この選択も自分は全く後悔していない。まず純粋に他の艇種に乗ることができて楽しかったし、クラ転しないとできない経験もたくさんできた。そしてスナイプ、470チームどっちもで活動でき、多くの人と関わることができたのも良かった。

最近のヨット部ではポジション変更を考える機会が増えていると思う。もしクラス転向、ポジション変更を考えている人に言いたいことは、他のポジションで積み上げたことは必ず役に立つ、無駄になることなどない。

「どんな艇種であってもヨットはヨットであることに違いはない。」

だからと言ってコロコロポジションを変えろ!って言ってる訳では無いのは注意


そしてクラ転が良かったと思える理由の1つが全日本470に出場できたこと。

選考レースは南風爆風。だしゅんさんのお陰で、自分は何もしていないのに、沈しないだけで通過できてしまった。

よかったのは主には遠征。遠征の経験はなかなか経験することができない。佐賀でヨットをできたこと、プロなどの東工大以外の、自分にとっての常識とは違う人を近くで見て、関わることができたのが何よりも良かった。どうしても葉山で活動していると、部員が多いため他大と関わる必要性は低い。また全日本インカレも東工大のメンバーが多いため、自分たちだけでも行動できる。しかし個人戦の遠征はそういう訳にはいかない。色々なことを手伝ってもらったり、待ち時間などで、東工大以外の人と関わりを持てたことは非常に良かった。



この期間は1個上のだしゅんさんに本当にお世話になった。自分はただぶら下がってるだけで前を走ってくれて本当にありがたかった。なのに勝手に一人で機嫌悪くなったりキレてたり…にも関わらず、後ろで暖かく見もってくださっただしゅんさんには本当に頭が上がらない。もし今だしゅんさんともう1回乗れたら楽しいだろうし、もっといい景色が…という悔いは少しあります。



クラ転生活をトータルで振り返って、めちゃ楽しかったので、全く後悔はしていません。それでもド微風のスピントリム(ただでさえ進まなくてイライラするのに、クラ転直後に自分が下手すぎて槙枝さんと芳賀がはるか彼方まで進んでいってしまった思い出)、強風リーチング(秋イン決勝のFinishで速すぎて足がすくんだ思い出)がある470には乗りたいとは思わない。

 


全日本インカレサポート 3年11月

昨年の秋インカレで自分の470チームは力不足で全日本にはいけませんでした。が、スナイプチームは全日に出場しました。この重要なレースに自分もサポートとして参加させていただきました。

 

ここでサポートとは?サポートの仕事をこなすこと、メンバーを手伝うこと、メンバーを応援すること、すべて正しいと思う。ただし、あくまで自分が考えるサポートは、役割は関係せず、「チームの一員としてチームの目標の達成に尽力すること」だと考えている。レースには出れないし、リザルトには名前が載らない、自分がいくら頑張ってもリザルトは変わらないかもしれない。確かにメンバーとやることは全く違う。それでもサポートはレースをともに戦い、目標を達成するチームの一員。やることは違っても、レースに臨む姿勢、目標に対する思い、自分の役割への集中、これらをおろそかにしていい人はチーム内にはいない。これができない人はチームの一員ではない。(だからこそ早稲田はすごいなーと思う)

ここで、さっきの思いを自然とチーム全員に思わせることができ、思ってもらえるようなチームにすることが、レースに出る人の責務なんだろうなと思う。(自分はというと…もっとなにかできたかなと思うばかり)

 

話を全日本インカレに戻す。遠征に行くことが決まってからは、メンバーが全力を出し切り、チームが目標を達成できるように、メンバーが少しでもレースのみに集中できるように尽力したつもりである(遠征事態の移動や宿に関してはノータッチで大変申し訳ありませんでした)。陸での運営との連絡、メンバーのケア(?)、海上での動きや必要なものの確認、選手のサポート、コーチのサポート、遠征のレポートなど。寝るのクソ遅かったし、正直めちゃしんどかった。当時の自分にとって、人生で一番きつかった期間だった。でもサポートの体力に気遣わせるのは変というかおかしいので、朝起きたらなるべくそれを感じさせないように。イヤイヤやっていたわけではなく、チームの為に。振り返ると本当にきつかったけど、本当に楽しかった。連れて行ってくださりありがとうございました。

最後に!全日本インカレの最終日の夜に、自分が醜態を晒したことが広まっているような気もする。あれは、本当にしんどかった全日インカレが終わったことへの達成感(開放感)、そしてこれから自分の代が始まってしまうことへの不安によるものなのです!翌日めちゃめちゃきつかったことはおいといて、あの夜の一件を自分は全く後悔していません。自分をあれくらい開放する機会があってもいいと思うし、ないのは寂しいと思います!!!(ネタにもなったし)みなさんもぜひ開放を。

 



3年11月~4年4月

全日遠征から帰ってきたあとは、溜まりに溜まった大学の課題やレポート、そして理事会の時期。

自分が属する土木系は東工大の中でも忙しい方とは言われている。そして3年の11月とは土木系でもかなり忙しい時期。そんな時期に1週間大学を休んだらどうなるかわかりますか?

普通に地獄。当時の自分にとって、人生で一番きつかった時期なのは間違いない。

そして千日インカレが終わったということは本格的に代替わり。引き継ぎに追われたり、慣れないことに苦しむ中、同期の人数が少ないから頼る人もいない。それに加えて理事会の準備ももちろん手を抜けない。この時期の理事会は8月の全日本470から始まった、個人戦の遠征の支援金をどうするかや、昨年度の秋イン報告、今年度のチーム方針などなど。

大学のレポートなどに追われて土木同期とレポート合宿をやりながら、発狂していたら気づけば春合宿が開始していた。春合宿は週6日に加えて、ヨット部にとって超超超超超重要な新歓が本格化。

と思っていたら。3月上旬にハーバーマスターから呼ばれ、レスキューのバース問題が。候補地探しの初期はしんどっと思いながらも練習を数回返上して、少しだけ楽しんでやっていた。そのときは、なんだかんだどうにかなるだろうと思っていたから。

しかし、色々ネットで調べて、人に相談して、歩き回って、電話して...これガチで置く場所ないんだなと...そんなときにお隣の西村さんから教えていただき、一安心。と思っていたら、大学に行く予定だった4/20(木)の朝7:14。突然電話が。(さすがに時間までは覚えてなかったが、こんなに早かったのか)

そのまま急いで葉山へ行ってお話を聞き、逗子の市役所に行き...レスキューのバースの問題は振り出しへ。

最終的には中央大学の駐車場に置かせていただくことができ、一旦なんとかなったみたい。今後はどうなっていくのか、少々心配が残ります。



このバース問題の期間は春インカレ直前。インカレ直前になると、学連関連でクソ重要な連絡が、本当にたくさん、主将LINEに来る。めちゃしんどかった(し、実はかなり色々やらかしていた。全部なんとかなったので本当に良かった)

当時の自分にとって人生で一番きつかった時期でした。


こうして振り返ると、全日本インカレ期間から、春インカレまでの期間、人生で一番しんどい期間を常に更新していた。でもこの期間で多くのことに触れ、挑戦し、玉砕した経験で、自分はスキル面でも精神面でも大いに成長できた。本当にきつかったけど、この期間を自分は全く後悔していないし、経験できてよかった。

実際に歩き回り、手を動かし、頭を使わないと何事も先に進まないし、成長することはない。口で言っているだけでは何も向上しないし、何も変わらない。確かに最初は「はぁ?」と思うことばっかり。それでもやっていなければ、文句を言う筋合いはない。実際に行動して判断できるのであり、やる前から判断できるほど自分は天才ではない。ということを意識したい。

 

4年5月~6月

この期間は怒涛の春インカレ期間が終わったあと。いわば抜け殻みたいな感じ。これまでの人生で一番沈んでいた期間だと思う。一回本気で死んでやろうかとも思って、春イン翌日の爆風の日に赤灯台まで行ったのも今となってはいい思い出なのかもしれない。さすがにとばなかったが。

ってしてたら、5月の理事会。準備を割とサボっていたらそのタイミングで見事コロナ発症。何事も準備をサボったらダメ。


そのあとは個戦に向けての期間。当日は色々とカオスだったが、結果としては自分たち4年ペアは行けず、後輩のペアが全国へ!後輩が通ったことは本当にすごい!おめでとう!

でも自分たちは落ちた。確かにおめでとうかもしれないけど、その前に自分たちが負けた。これは団体ではなく、個人戦。仲間は勝ったかもしれないけど、自分たちは負けた。その状況で後輩におめでとう!はできなかった。


この個戦での敗北、そして春までの色々な思いから、自分は残りの数ヶ月この部活を続ける意味が分からなくなった。

ヨット部で得られる社会人へ向けた様々なスキルは前半で全て得た(と当時は思っていた)。特に全日本に行きたい!とも思わなかった。正直全日本に行けるとも思えなかった。

残りの期間も人生で一番つらい時間が、目標もなく続いていく。そう思うとマジで続ける理由が不明だった。


結果、7/9の潮総会まで数週間休部を決意。

休部してた期間は、総会の資料づくりをガチっていた。それまでのヨット部の経験の集大成って自分で考えて、正直かなりガチった。OBさんにも相談しながら、誰が聞く?(対象)、なんで発表する?(目的)、どこで何分間の発表?とか考えたり、過去数年間の主将のテンプレを使わなかったり、、、大学生卒業までの全資料作りを考えても、卒論発表と並ぶくらいにはガチっていた。


そして資料作りの傍ら、自分は今後どうしようかと。

冬春を思い返すと、何が大変なんだよ。と言われれば具体的には言えないし。大変なら誰かに振れよ。って言われれば確かにそうなんだけど、、、って思うし。でもなんかやることがあって寝れないし、重要な連絡が来そうで寝れないし。この期間は、合宿所なら玄関でパソコンと向き合いながら就寝。家なら飯食いながら寝落ちかパソコンの前で寝落ちのどっちか。ふと思うと数週間ベッドで寝てないなーって思ったのを覚えている。今となればいい思い出。


当時も今も、自分は人を頼るのが尋常じゃないくらい下手くそです。当時思っていたのは、

「言ってもやってくれない。たとえやってきたとしても自分が思ってたものよりも悪いものが来る。なら頼むよりもはなから自分がやったほうがいい。」

今の自分からすると、同意はできる。が、頼み方が下手すぎた。

いつまでに(期限)。頼んでいる理由(目的)。どのくらいのクオリティで。情報はどこにあるのか。頼む熱意。などなど

今ならば多少なりともマシな頼み方ができるかなと。今の自分ならこれくらいは伝えて頼む...はず。それでも結果が同じなら頼まなくはなるんだろうが。

ただ、今も頼むのが下手だし苦手。お願いされる方も何かしらで絶対忙しいだろうなー、頼むの申し訳ないなー。って思って頼むのを尻込みしてしまう。

お願いを受けるかどうかは相手の問題であり、自分ができるのはお願いすることまで。ならお願いしない意味はないというのはわかっているが


こんな感じの自分だったので、降り掛かってくるさまざまなことすべてをやる。そりゃ大変。っていう現状を変えるために、いろんなことを同期、後輩にやってもらう(丸投げ)!っていう作戦で7月以降の部活を続けることにした。

今まで自分がやっていたことを急に放棄しだしたから、いろんなところで問題は発生していたのかな?大変申し訳ありませんでした。


4年8月から10月

こんな感じでふらっと続けていたときの8月の理事会。議題はたくさん。470はレース。自分はもちろん出るつもりだったけど、資料はある程度同期とかが作ってくれてるんだろうなーって勝手に思ってた。

数日前になり、資料は知らん。出るのは自分ひとり。正直絶望というかなんというか、

結局自分が全部やるってなってるのかー、6月と何も変わらなかったんだなー。


ここでもう一度本気でヨット部を辞めることを考えた。

確かに秋インまで“たった”1ヶ月、でも自分にとっては1ヶ月“も”ある、だった。部のいろんなこと、みんながやりたくないことは自分がやる。部のいろんなことは、なんかよくわからないけど当時の自分は嫌じゃなかった、けど大変ではあるので時間は必要。だからヨットにはもう乗らない。いろいろと部が崩壊しかけていたが、目を瞑ってきた部分もあった。それらもやるからヨットに乗るってことはもうなしにさせてくれと。

当時の整理されてた理由を見てみると、

  1. ヨットのモチベーションはない。ヨットに乗りたいも上手くなりたいも勝ちたいもない。やめても悔いもまったくない。

  2. 部を少しでもいい方向に持っていくことに時間を使ったほうが、部にとってもメリット。

  3. 何かを変えるには大きな変化が必要。自分が休部したくらいじゃ結果的に何も変わらない。やめても変わらないだろうが、休部よりもでかい変化をしてみてもいいのでは

 

このときには本当に多くの方に相談した。どれも納得させられるもので、助けられたし、このような話を聞いてくださった方々には感謝しかない。

で、またしても結局辞めることはしなかった。が、それまでとは違うマインドを。“勝つ”よりも“楽しむ”ことを優先したことである。

一応補足しておくと、負けようとしていたわけではない。少しでも早くフィニッシュしようとはするが、「勝つ!全国行く!」とメラメラしていたわけではない。っていう感じである。

たまたま自分が復帰の日あたりの期間に現れた、他大のセーリングパートナー?たちが、自分の「楽しむ」というコンセプトと同じような感じなのもより楽しめた要因だった。(合わせてくれていただけかもしれないが)



実際そうして楽しむでヨットをやってみると、ヨットはかなり楽しかった。

海に出る。ヨットを走らせる。こうしたらもっといいんじゃね?!早くなんじゃね?!ってペアと話しながらセーリングしてみる。他艇にどうやったら勝てるかなー?ってコースを考える。

ヨットというスポーツをやるうえで、上のこと全部当たり前かもしれない。

(説明ベタですが)自分はこれまでの人生で、競泳、バスケ、ヨットとスポーツをやってきたが、どれも結構チーム視点というか、純粋にスポーツを楽しむという視点をあまり持ってこなかった気がする。だからこそ、この純粋にヨットっていうスポーツが楽しいっていう感覚は割と新鮮で、ヨットが一番楽しい期間の1つだった。


だからこそ秋インは一番楽しかったレースとしても覚えている。たくさんの船で、同年代のうまい人達とのレース。3艇のチームでのレース。前を見れば470の結果の雰囲気もスピンで見える。いやー予選、決勝ともに、本当に楽しいレースだった。

現役へ。社会人セーラーからインカレにもう一回出たい、という話をよく聞く。確かによくわからない運営だし、色々カオス。でもあの学連の雰囲気でレースすることはもう二度とない。ということらしいので、もしここまで読んでいる現役部員がいたらそういうことらしいので。ぜひ楽しんで。大人は何があってもインカレには出れない。

ただ、自分はもうお腹いっぱいインカレレースを楽しみましたので、もしもう1回でれるとしても遠慮しておきます。


結果としてみれば、艇の成績としては良くもなく悪くもなく、チームとしてみれば全国には行けず。APAが上がった瞬間は負けた悔しさはなかったが、引退だなーと思うとめちゃめちゃに泣けました。

最後の1ヶ月間、こんなテンションでも、最後まで一緒にやってくれたスナイプチームのみんなありがとう。



ヨット面で後輩の役に立つかもしれないことを書いておくと、、、

インカレはみんなうまいけど、意外とそんなにうまくないから、ちゃんと走ってると勝手に順位が上がっていきます。負けてるときほど(もちろん勝ってるときも)、セーリングに集中して、コースもロング走って(?)、ペアでコミュニケーションとって。そうしてると自分が奇抜なことをしなくても、意外とみんなが勝手に死んでってくれます。決勝のどれかのレースで、1上ビリから「コースぶち当たったーー!」とかもなく、気づいたらフィニッシュで真ん中まで上がってたレースは記憶に残ってます。

でも後輩たちにはこんなのが参考にならないように、「1上シングル!」でフィニッシュまでキープしてほしいと思います!

 

 

正直長々と書きはしたが、話そうと思ったらこんなもんで終わるはずがない。本当に辛いことばかりだった。

(唯一残っている後悔(?)としては、退部しなかったこと。自分はあまり組織を途中で辞めるっていうことをしてこなかったし、そういうのに否定的な考えだったので、退部っていう経験をしてみるのはもしかしたらありだったのかなーと。もちろん最後までやったという今の選択が良くなかったとは思っていませんが、そういう経験としてはありだったのかも)

ただヨット部での生活の感想を簡潔に言うとすれば、ヨット部に入ってよかった。

が、もし入学当時に戻れるとしたらもう1回は入らない。




最後にはなりますが、ここまで読んでくださった方がいるのかはわかりませんが、本当にありがとうございました。

あと半年で変わってしまうかとは思いますが、今後とも東京工業大学体育会ヨット部へのご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。

自分はこれからも最高の人生を生きていきます。


主将 赤地俊章

 

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